昨晩のこと。(書道メモ)
2021/12/09
・
・
気楽なところで、一生懸命…と言うことです。
自分における書道の流れと言うのは、
15日に競書が来て、20日に締め切りが…先月の競書誌の締め切りが来て。
欅の森書道会は月に2回だから、
20日の前々日くらいに書道教室があれば、それが締め切りになるのだけれど、
例えば今月は20日が2回目の書道教室で、
2021年11月号の締め切りと同日になるので、
その1回前、6日が競書の締め切り…となる訳です。
他の人に比べれば早いと言えば早いのだけれど、
割とそれも慣れたかなぁ、と言うところ。
6日に提出する、次の課題は15日にならないと分からない。
するってぇと、この間が自由時間になる訳です。
昨晩は「銘泉集」をよせば良いのに欲をかいて9枚。
2時間くらい夢中になって書き続けて行く中で、
楽しいけれど、苦しさも同時に味わった訳です。
苦手な字、上手く行かない字が出て来ると、
何枚書いてもイライラとしてしまう、満足できない…そんな感じで。
昨晩は8枚目の「北秋田」がとても難しかった。
臨書酒林で実際にあるラベルを臨書した時には、
全然…そりゃあお手本があるからこそ、
苦戦することが無かったのだけれど、
「北秋田」は、
「北」と「秋」の構造が似ている事に気付きます。
どちらも真っ直ぐの縦線が印象的。
それなのに最後の「田」で受け止めてしまうので、
平行過ぎてもいけないし、外し過ぎてもいけない。
行書調で書いてみると「北」と「秋」の距離が近づいてしまい、
より「田」との調和が乱れる…そんな感じで難航しました。
理屈で解体すれば原因は分かるけれど、
だからって直し切れない自分の腕にやきもきとして。
何とか見切りを付けて筆を洗いながら考える。
理由と言うか、次に繋がる何かを得ようと悶々とする…、
そして気付いたことを記録しておこうと、そんなところ。
これをTwitterなどにするには長過ぎるや。
「見える集中力」と「見えない集中力」について。
哲山先生が言っていたことで、
1枚に何十字も書く場合の休憩方法などを聞いた時の言葉と、
僕の中でリンクするかな、と。
「見える集中力」とは「楽しさ」の様なもので、
夢中になっていれば時間を忘れるし、
上手く行かない時でもイライラしつつも書き続けていられる…
…疲れを感じない、そんな集中。
これがあれば、良い1枚に辿り着けるかも知れない原動力。
でも、昨晩みたいに上手くいかない時もある。
そこで。
「見えない集中力」みたいなものがあるんじゃないか、と仮説を立てた。
これは「焦り」や「冷静さ」みたいなもので、
「見える集中力」で書き続けていても、
俯瞰的に先生の教えだったり、筆先の起立正しさだったり、
そうした細やかなところに気配り出来ているのか、
その集中力が減ってしまっているから書けないんじゃないのか…
そう思ったのだ。「クソッ、クソウッ!」とムキになって書いている時、
あんまり良いものが出来ないと思うので、
その時、またハマッた時間って「見えない集中力」が切れているのかなぁ、と。
どうもネットを見たりしても解放されないみたい。
ストレッチとかスクワットとかしてみようかな。
全く別のことを考えたら良いのかしら。
要検討だよね、と。
・
・
上記は僕自身の心の問題だけれど、
昨晩は古びたお気に入りの筆を使っていたこともあり、
顕著に感じられたことで、
「筆のヒットポイント(体力)」もあるんじゃないかな、と思った。
筆に含まれた墨は乾いたり溜まったり、
見た目は艶々に墨が入っているけれど、
内部や1本1本の毛では分からないぞ、と思う。
使う前に仮名用はやらないけれど、
全おろししている筆は水に漬けています。
これをやると、使用後の毎回の水洗いが格段に楽なんです。
書き口ではあまり差がないと感じているし。
書いているうちに、筆が疲れて来るのかな、と。
途中、ネットを見たり…数分ほどでも間を空けた後、
紙との相性があるにせよ、カスレの出方などが変わって感じられ、
心の問題、集中の継続性に由来するのかな…と思う、
それだけじゃないかも知れないな、と今回。
これは今後、要検証だけれど、
途中で筆をリフレッシュ目的で洗っても良いのかな、と考える。
含墨たっぷりで書きたいけれど、
フレッシュな状態での含墨たっぷりが良いんだろうな、と。
そんな様なことを徒然と考えていて。
…で、苦しいな楽じゃないな。でも楽しさもあるな。
乗り越えたら、きっともっと良い字が書けるんだろうな…と思った所から、
この1枚を書いて昨日が終わっている。
「健全な努力の先には光しかない。」
人生は山あり谷あり、
一寸先は光陰どちらも起こり得るけれど、
努力はある種の闇であり壁であるから、光るまで努力できたら光しかないのよ。
…と言う言葉を添えて。
座右の銘として大切にしている「人間は考える葦である」にも準じ、
考えれば考えるほどに、
諦めずに取り組めば取り組むほどに、
光に向かって近づいているに違いないと思った…てンで、
今日はここまで。
ありがとうございました。
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気楽なところで、一生懸命…と言うことです。
自分における書道の流れと言うのは、
15日に競書が来て、20日に締め切りが…先月の競書誌の締め切りが来て。
欅の森書道会は月に2回だから、
20日の前々日くらいに書道教室があれば、それが締め切りになるのだけれど、
例えば今月は20日が2回目の書道教室で、
2021年11月号の締め切りと同日になるので、
その1回前、6日が競書の締め切り…となる訳です。
他の人に比べれば早いと言えば早いのだけれど、
割とそれも慣れたかなぁ、と言うところ。
6日に提出する、次の課題は15日にならないと分からない。
するってぇと、この間が自由時間になる訳です。
昨晩は「銘泉集」をよせば良いのに欲をかいて9枚。
2時間くらい夢中になって書き続けて行く中で、
楽しいけれど、苦しさも同時に味わった訳です。
苦手な字、上手く行かない字が出て来ると、
何枚書いてもイライラとしてしまう、満足できない…そんな感じで。
昨晩は8枚目の「北秋田」がとても難しかった。
臨書酒林で実際にあるラベルを臨書した時には、
全然…そりゃあお手本があるからこそ、
苦戦することが無かったのだけれど、
「北秋田」は、
「北」と「秋」の構造が似ている事に気付きます。
どちらも真っ直ぐの縦線が印象的。
それなのに最後の「田」で受け止めてしまうので、
平行過ぎてもいけないし、外し過ぎてもいけない。
行書調で書いてみると「北」と「秋」の距離が近づいてしまい、
より「田」との調和が乱れる…そんな感じで難航しました。
理屈で解体すれば原因は分かるけれど、
だからって直し切れない自分の腕にやきもきとして。
何とか見切りを付けて筆を洗いながら考える。
理由と言うか、次に繋がる何かを得ようと悶々とする…、
そして気付いたことを記録しておこうと、そんなところ。
これをTwitterなどにするには長過ぎるや。
「見える集中力」と「見えない集中力」について。
哲山先生が言っていたことで、
1枚に何十字も書く場合の休憩方法などを聞いた時の言葉と、
僕の中でリンクするかな、と。
「見える集中力」とは「楽しさ」の様なもので、
夢中になっていれば時間を忘れるし、
上手く行かない時でもイライラしつつも書き続けていられる…
…疲れを感じない、そんな集中。
これがあれば、良い1枚に辿り着けるかも知れない原動力。
でも、昨晩みたいに上手くいかない時もある。
そこで。
「見えない集中力」みたいなものがあるんじゃないか、と仮説を立てた。
これは「焦り」や「冷静さ」みたいなもので、
「見える集中力」で書き続けていても、
俯瞰的に先生の教えだったり、筆先の起立正しさだったり、
そうした細やかなところに気配り出来ているのか、
その集中力が減ってしまっているから書けないんじゃないのか…
そう思ったのだ。「クソッ、クソウッ!」とムキになって書いている時、
あんまり良いものが出来ないと思うので、
その時、またハマッた時間って「見えない集中力」が切れているのかなぁ、と。
どうもネットを見たりしても解放されないみたい。
ストレッチとかスクワットとかしてみようかな。
全く別のことを考えたら良いのかしら。
要検討だよね、と。
・
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上記は僕自身の心の問題だけれど、
昨晩は古びたお気に入りの筆を使っていたこともあり、
顕著に感じられたことで、
「筆のヒットポイント(体力)」もあるんじゃないかな、と思った。
筆に含まれた墨は乾いたり溜まったり、
見た目は艶々に墨が入っているけれど、
内部や1本1本の毛では分からないぞ、と思う。
使う前に仮名用はやらないけれど、
全おろししている筆は水に漬けています。
これをやると、使用後の毎回の水洗いが格段に楽なんです。
書き口ではあまり差がないと感じているし。
書いているうちに、筆が疲れて来るのかな、と。
途中、ネットを見たり…数分ほどでも間を空けた後、
紙との相性があるにせよ、カスレの出方などが変わって感じられ、
心の問題、集中の継続性に由来するのかな…と思う、
それだけじゃないかも知れないな、と今回。
これは今後、要検証だけれど、
途中で筆をリフレッシュ目的で洗っても良いのかな、と考える。
含墨たっぷりで書きたいけれど、
フレッシュな状態での含墨たっぷりが良いんだろうな、と。
そんな様なことを徒然と考えていて。
…で、苦しいな楽じゃないな。でも楽しさもあるな。
乗り越えたら、きっともっと良い字が書けるんだろうな…と思った所から、
この1枚を書いて昨日が終わっている。
「健全な努力の先には光しかない。」
人生は山あり谷あり、
一寸先は光陰どちらも起こり得るけれど、
努力はある種の闇であり壁であるから、光るまで努力できたら光しかないのよ。
…と言う言葉を添えて。
座右の銘として大切にしている「人間は考える葦である」にも準じ、
考えれば考えるほどに、
諦めずに取り組めば取り組むほどに、
光に向かって近づいているに違いないと思った…てンで、
今日はここまで。
ありがとうございました。